読書感想:磯崎 新『磯崎 新 建築論集 全8巻』(第1〜7巻)岩波書店
著作の第1〜7巻(第8巻は未刊)を読んで、建築を本当に楽しんでいるのが伝わってきた。磯崎が建築界で最も大きな影響を持つ建築家だと改めて認識した。磯崎は1950, 60年代にアーティストたちと深い関係を築いた。自身の組織「磯崎アトリエ」に端的に表れている。また、それが設計の特徴になり、コンセプチュアルな作品をつくる意思が強い。「プロセス・プラニング」などの考え方に繋がる。画家や彫刻家は自分の作品と言える特徴を、独自の製作手法に求める。それと同じような考え方で建築を表現媒体とする。
遠州好みならぬ磯崎好みを『建築論集』を読んで理解した。キーワードは、18世紀の「幻想の建築家」、バロック様式、幾何学だ。磯崎は1963年に初めて渡欧したときに、旅費の大半を叩いてルドゥーの作品集をパリで購入したそうだ。こういうエピソードに磯崎好みの源泉が垣間見える。
立方体や球を設計に使うのは、古典的な比例の世界から脱却するためと聞いたことがある。磯崎は丹下の元で10年間働いたので、丹下好みの線をパッと描けるほど完全に理解していたという。丹下はル・コルビュジエのモデュロールを変換した丹下モジュールを使用していた。その反発で比例の世界から脱却を図るため、プラトンの立体( 正六面体、正四面体)を使ったそうだ。要するに父殺し(オイディプス)的な意味がある。カチッとしたルネサンス様式に対する、崩したバロック様式みたいな関係だろう。
丹下に関する書籍を読んでいたときに、「(1950,60年代は)スケルトン(骨組み)だけつくればよいと思っていた」というような発言を磯崎がしていたと思う。その考え方が、非常に強い空間性を与える。オトコらしいマッチョな空間で、厳格で力強い。人間を突き放すような雰囲気さえある。丹下は崇高さ、神のスケールと表現したそうだが、磯崎風に言うとデミウルゴモルフィスム(造物主義)だ。一つのルールを決めると、その空間がポンと生まれるようなイメージ。背後に数式を感じるような空間。合理性が空間に表出している。
論文集を読んで磯崎の人物像が次のような言葉で浮かび上がってきた。
[廃墟のイメージに対する obsession(強迫観念)からのニヒリスト、アナキスト、ラショナリスト、遊び心がある数寄者、へそ曲がり]
このような心持ちが口癖の「事件を起こす」に繋がるのだろう。
以下、参考文献など