建築・アートの所感ノート

建築とアートの作品、展覧会、書籍などの感想を共有します。

読書感想:飯島 洋一『「らしい」建築批判』2014, 青土社

[ ブランド建築 ]
 飯島は新国立競技場計画設計競技にて、東京がオリンピック開催地として選ばれるためにザハ・ハディド案を選んだのではないか、という。ザハ案は誰が見ても「アッ」と驚く外観である。世界中に同じ設計手法でつくられた建築がある。それを建築家のブランドとして、再生産をされることに著者は批判をする。主に安藤忠雄伊東豊雄が俎上に載せられていた。しかし、施主は彼らの「らしい」建築を望んで設計を依頼する。
 
 わたしとしては、同じ手法で設計を繰り返すことは、どんどん改善されて手法の洗練度・完成度があがるから良いことだと思う。毎回、全てを新しい挑戦できるわけがないし、少しずつ新しいことをして、少しずつ変わっていくのが良いのではないか。これまでの作品に対する施主の要望も含めて。
 
 
[ 建築と思想 ]
 ル・コルビュジエをはじめとするモダニズムの建築家たちは、社会革命をする意思で設計活動をしていたが、現代の建築家には思想がないと言う。映画「誰も知らない建築のはなし」でも、GAの二川由夫が、同じことを危惧していた。建築は時代によって主たる施主が変遷している。王族、貴族、宗教(教会・寺社)の時代から、資本家(ブルジョア)が主役に躍り出る。チカラ関係が変わり、建築は常に強者に寄りそう。
 
 資本家のチカラの源泉となる資本主義によって、現代建築はつくられる。「超高層ビルの増加速度・容積率が株価を示すローソク足と相関して高くなっていく」とどこかで聞いた。的を射た表現だ。現代で生活する我々は客観的に状況を判断できず、時代が経た後に歴史化される。思想がないことは無いはずだ。モダニズムは、たまたま社会改革と建築のパラダイムシフトが重なった幸運な時期だったかもしれない。飯島は現代を批判しつつも、最終的には「イデオロギー抜きの趣味的な社会で、ただ資本主義体制に倣っていくだけである。」とまとめる。全く同感である。
 

 

「らしい」建築批判

「らしい」建築批判