読書感想:飯島 洋一『「らしい」建築批判』2014, 青土社
映画「だれも知らない建築のはなし」
谷口吉生「鈴木大拙館」2011年, 金沢市
まもなく開通する新幹線に活気づく金沢駅。バスに乗り換え、バス停から目的地まで歩いていると、建築学生を1人発見した。さらに、クルマで来た取材するオジさん2人組も同時に鈴木大拙館に向けて歩いた。みんな建築関係者で、まるで聖地巡礼をしているようだった。
まずは外観から鑑賞。「思索空間」と名付けられた立方体の空間が、「水鏡の庭」という水盤の上に浮かぶ。これが鈴木大拙館のメイン・イメージになる。黒い水面に白い立方体の対比がよい。
▲外観
▲平面図, official websiteから引用
平面図をみていると、どことなくミース・ファン・デル・ローエが描きそうなプランに見えてくる。
禅の「まる・さんかく・しかく」の概念が設計に反映している。鈴木大拙はこれらを「宇宙の生成発展」「世界の構成要素」を示すと考えたらしい。様々なとらえ方があるようで難しい。水鏡の庭に、定期的につくりだされる噴水は「まる」を描く。「さんかく」はシンボルツリーのクスノキの立面、「しかく」は最初に述べた、思索空間がそれである。他にも多数、このカタチが使用される。内部回廊につくられたクスノキを見るための場所の平面が「さんかく」である。クスノキも上方から見ると、平面が「まる」だ。坪庭に置かれた手水鉢は、一つに全ての要素が入っている。
▲仙厓, 江戸時代, 出光美術館蔵
▲水面に「まる」、クスノキが「さんかく」、右手の思索空間は「しかく」を示す
▲手水鉢、底辺が球(まる)、上から見ると「しかく」、凹みは「さんかく」
▲エントランス, 中庭まで見通せる
照明が落とされた内部回廊を通り、現実世界から非日常の世界にいざなう。途中、大きなクスノキがみえる。廊下の突き当たりには鈴木先生のポートレート写真が展示してあった。そこから展示室が始まる。展示数は多くなく、パッとみられる程度。キャプションが無く、鑑賞者が考えることを期待する展示方法になっている。
展示室の隣に学習空間があって、ここに現代の床の間といえる空間の華となるべき場所があった。大きな漆塗りの板に花が飾ってあった。
▲展示空間へ向かう内部回廊
学習空間をでると、外部回廊に出て水鏡の庭の横を通る。展示空間は「ケ」の世界で、壁を隔てて「ハレ」の世界に出るような気がした。白・黒と壁一枚を隔てて、光の状況が反転する。外部回廊から思索空間に続く導線が、能舞台みたいな構成だ。茶室に向かうまでの露地にも思える。柱のない広縁のようでもある。とにかく、日本的な空間だ。
▲外部回廊
▲思索空間
▲思索空間, 上方を見上げる, パンテオンと同じまるいトップライト
《建築ガイド》
これから新幹線が開通し、金沢を訪れる人が増える。
観光案内所でこれらを手に取り、建築鑑賞をするのはいかがだろうか?
カナザワケンチクサンポ vol.1
http://www.kanazawa-it.ac.jp/kitnews/2013/kenchikusanpo1.pdf
カナザワケンチクサンポ vol.2
http://www.kanazawa-it.ac.jp/kitnews/2014/20140329_kenchikusanpo.pdf
(作成:金沢工業大学 建築系の学生)
金沢紹介/金沢アーキテクチャー・ツーリズム vol.1
http://www.kanazawa-kankoukyoukai.or.jp/digitalpamphlet/book/book40_n/
金沢紹介/金沢アーキテクチャー・ツーリズム vol.2
http://www.kanazawa-kankoukyoukai.or.jp/digitalpamphlet/book/book49/
庄内町ギャラリー温泉 町湯
読書感想:磯崎 新『磯崎 新 建築論集 全8巻』(第1〜7巻)岩波書店
読書感想:三潴 末雄『アートにとって価値とは何か』幻冬舎, 2014.9
とても面白かった。本書の構成は、半分が三潴さんの自伝、残りがアーティストの関係・批評を交えながら、アートに対するマニフェストになっている。
欧米の価値基準だけでない考え方を、欧米を含めた世界に理解して欲しいと述べていた。それを実現するための方法の一つとして、世界をリードする美術館(MoMA, Tate Modern など)で日本人のキュレーターが活躍して欲しいという。これにはわたしも大賛成だ。アートの価値をつくる核になるところの影響が最も大きい。
三潴さんは「ジャラパゴス」展や「ジパング」展を企画したり、海外に支店を出したり、もっともっとアート界を盛り上げていこうという意識が伝わってきた。これからも注目し続けて、応援したい。
今をときめく現代アーティストとの出会いや付き合いが述べられる章も面白かった。村上隆、会田誠、山口晃など好きな作家を、さらに知ることができて良かった。日本人の作家はモノとしてのクオリティが非常に高い。それにコンセプチュアル性が付加されると、作品の強度はさらに上がる。そのような作品は、グローカリティ(Glocality=Globality+Locality)に適し、世界中から魅力的に見えるはずだ。
現代アートが好きな人には必読の一冊だ。
MIZUMA ART GALLERY / ミヅマアートギャラリー
読書感想:『磯崎新の建築談議』シリーズ、全12巻(第8,10巻)、六耀社
この2冊を読んだ。
磯崎新、篠山紀信、五十嵐太郎『磯崎新の建築談議』六耀社, 図書館
第8巻 パラッツオ・デル・テ(16世紀) ジュリオ・ロマーノ
第10巻 ショーの製塩工場(18世紀) クロード・ニコラ・ルドゥー
磯崎新建築論集 第5巻 で次の3論文が掲載されていたが、写真が全く無かった。
「両性具有の夢――ヴィッラ・アドリアーナ」
「排除の手法――ル・トロネ修道院」
「闇に浮かぶ黄金――サン・ヴィターレ聖堂」
『磯崎新の建築談議』をまず読んでから、その本を傍らに置いて論文を読めばもっと理解が進んだと思う。読む順番を間違った。タイトルに「談義」とあるように磯崎さんと五十嵐さんの対話が収録されており読みやすかった。雑誌みたいな感じだ。論文は『建築行脚』の方に掲載されているのだろう。『建築行脚』シリーズも読みたいが、とりあえずは『建築談義』シリーズを全巻読みたい。
磯崎さんはバロック様式が好きなわけだが、その理由が少しずつわかってきた。技巧的で面白いのだ。日本建築でいうと、書院造りよりも茶室みたいな感じ。正統ではなく系統。建築を本当の意味でよく理解しているからこそ、マニアックなデザインが好きなのではないか。茶目っ気のあるデザイン、本家を理解している人だけがわかる、くずしのあるデザイン。イタズラ好きな性格というか、へそ曲がりというか、そういう性分がよめる。
引用やオマージュは美術の世界では繰り返されてきた正統派の手法だ。それを建築で過剰(excess)にやったのが磯崎の「つくばセンタービル」だ。
わたしはパッラーディオなど正統の方が好きであるが、傍流の良さも理解できるようになったと思う。『建築談義』シリーズで紹介されている建築へ、そのうち行きたい。最近、建築の写真集を見る機会が減っていたので、久しぶりにデザインそのものを楽しめた。
写真(上):つくばセンタービル