建築・アートの所感ノート

建築とアートの作品、展覧会、書籍などの感想を共有します。

読書感想:磯崎 新『磯崎 新 建築論集 全8巻』「第7巻 建築のキュレーションへ――網目状権力と決定」, 岩波書店

 特に気になった論文の感想を書く。

「大勧進 重源――1180年代・奈良」
 これまで磯崎新建築論集シリーズを読んでいる中で、何度か重源は登場してきた。浄土寺浄土堂は「正方形平面にピラミッド状(宝形寄棟(ほうぎょうよせむね))に屋根がのせられ」と説明している。幾何学の組み合わせで、正に磯崎好みと言える形態だ。「幻視の建築家」といわれるエティエンヌ・ルイ・ブーレーやクロード・ニコラ・ルドゥーに惹かれている理由と同じだと思う。また次のような説明があった。

     ・大仏様は重源だけが残した様式で四半世紀しか存在しなかった。
     ・東大寺南大門は圧倒的なスケールを勧進の根拠にした。

 丹下健三的に言うならば、「神のスケール」、磯崎的なら「デミウルゴス(造物主)」の仕事。重源にデミウルゴスが憑依したとも言えるだろう。



「紙上にのみ存在する建築」
  〈マイ・ホーム〉と消費社会がアイロニカルに説明される。これを読むと〈マイ・ホーム〉に疑いの目をかけるようになるだろう。国家が、資本主義がサラリーマンを洗脳して、〈マイ・ホーム〉に囲い込みをする。どんどん不動産を所有する気が無くなっていく。



「波乱ぶくみの国際コンペ」
 磯崎が関わったコンペの選考過程などが説明してある。審査員としての責任をしっかりと果たしていると感じた。以前は公開されることがなかった審査状況を知ることができて面白かった。今は少しずつでも公開審査は増えてきているはずだ。せんだいメディアテークでは、完全に公開審査にして、審査員が審査されている状況を生み出した。磯崎は「事件を起こす」が口癖だそうで、以下のコンペの結果をみると納得できた。

磯崎が審査したコンペ:湘南台文化センター、第二国立劇場坂本龍馬記念館、関西国際空港旅客ターミナルビル、横浜港国際客船ターミナル、せんだいメディアテーク水俣メモリアル、ラ・ヴィレット公園(パリ)、ザ・ピーク(香港)、CCTV(北京)



「『手立て』と採点――くまもとアートポリス」
 細川護煕が知事をしているときに、磯崎が創りだした制度が「くまもとアートポリス」である。細川は政治家が残せるのは建築のみという。これまでの制度の利用結果をみると、大成功していると思う。熊本県に住む人たちが羨ましい。全国で建築家たちがもっと活躍する場が増えてくれると嬉しい。



 南後が解説で磯崎の状況をわかりやすく説明しているので引用する。


「磯崎がアカデミズムから距離をとり周縁に位置しようとしてきたにもかかわらず、中心へと引きずり込まれてきた建築家であること、日本を代理表象することを回避してきたにもかかわらず、日本を代表する建築家として世界的に認知されるようになった建築家であること、そして幸か不幸か、啓蒙する気のない磯崎に啓蒙されてしまったのが日本の建築界であることを認識するまでには少し時間がかかった。」


 磯崎新建築論集の既刊7冊を全て読んだ。第8巻が出版されるのが楽しみだ。

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《 目次 》
Ⅰ 社会的権力としてのクライアント
 1 大勧進 重源――1180年代・奈良(初出1997-98年)
 2 遠州好み――1620年代・京都(初出2003年)
 3 祝祭オペラ――1860年代・ドイツ(初出1992-93年)
 4 ゲームの臨界――1980年代・ニューヨーク
  〈1〉1985年初夏(初出1990年)
  〈2〉イメージゲーム(初出1991年)

Ⅱ 網目状システムの編成
 1 紙上にのみ存在する建築(初出1969年)
 2 波乱ぶくみの国際コンペ
  〈1〉なぜ日本勢は振るわなかったのか(初出1983年)
  〈2〉三つの審査講評とひとつの審査批評(初出1995年)
  〈3〉極薄の閾のうえを(初出2008年)
 3 世界舞台にのせるには
  〈1〉〈空間から環境へ〉展 趣旨(初出1966年)
  〈2〉〈間(MA)〉の帰還、二十年後(初出2000年)
  〈3〉”和様化” のしくみ(初出1991年)
 4 国際会議という運動
  〈1〉日本の何が売れるか(初出1990年)
  〈2〉マン・トランス・フォームズ展(初出1990年)
  〈3〉Anyone への招待(初出1992年)
 5 「公共」というクライアントのためのキュレーション
  〈1〉「手立て」と採点――くまもとアートポリス(初出1993年)
  〈2〉脱マスタープラン、脱nLDK(初出2000年)
解説:南後由和

 

 

読書感想:磯崎 新『磯崎 新 建築論集 全8巻』「第6巻ユートピアはどこへ――社会的制度としての建築家」, 岩波書店

レオニドフの「太陽の都市」
 気持ちが良いほど理想的な計画がいくつも紹介されて、図面をみてみるといずれもカッコ良い。まさに〈ユートピア〉の世界だった。磯崎が推す「太陽の都市 (Sun City)」は画像があまり見つからなかった。それまで計画してきた建築を全部まとめた計画だという。
 1920年代につくられた「『ノン・レファレンシャル』で『ノン・レプリゼーンテーショナル』な《建築》」という思想が、論理の閉鎖性によって1930年頃には限界が見えていたのでは?と述べられている。過激な考え方は破綻するのも早いということだろうか。
  e.g. Lenin Institute in Moscow (1927) 卒業設計
  構成主義者の重要な標語「機会を模倣するな、それを設計する技師を見習え」


テラーニの「ダンテウム」
 テラーニの建築はヒロイックでカッコイイ。「ダンテウム」はダンテの神曲から考案された建築だ。桂離宮が和歌から設計されたのと同じ。Internet で CG画像がいくつかあって、とてもわかりやすかった。平面図はコンポジションが美しい。黄金比が使われている。実際に見てみたいアンビルト作品だ。


八田利也の「小住宅設計ばんざい」
 皮肉が満載で面白かった。建築界で評判になったことに納得した。50年前の文章であるが、全然古びておらず、現代まで同じ問題が続いている。


《建築の解体》症候群
 この論文が本書で最もヴォリュームがあった。60年代の総括として、まとめられていた。これまでの〈CIAM〉に集まっていた建築家たちとは異なる時代になったことが説明している。1920年代のアヴァンギャルドたちは、形体操作に研究を重ねたが、60年代以降は建築のコンセプチュアル性が重要視されるようになったということだろう。

 

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《 目次 》
Ⅰ 近代国家の建築家――テクノクラート・アーキテクト
     1950年の梁思成と丹下健三(書き下ろし)
Ⅱ ユートピアがまだあった頃
     1.フーリエの「ファランステール」(アソシエーショニズム)(書き下ろし)
     2.レオニドフの「太陽の都市」(コミュニズム)(初出1989年)
     3.テラーニの「ダンテウム」(ファシズム)(初出1990年)
     4.セドリック・プライスの「シンクベルト」(ソーシャリズム)(初出1975年)
Ⅲ ユートピアに翻弄された戦後日本
     1.八田利也の「小住宅設計ばんざい」(コンシューマリズム)(初出1961年)
     2.神代雄一郎の「巨大建築批判」(コモディフィケーション)(初出2001年)
     3.宮内康の「建造物宣言」(ラディカリズム)(初出2000年)
Ⅳ ユートピアが死んだ頃
     《建築の解体》症候群――主題の不在(初出1975年)
Ⅴ 現代社会の建築家――システム・アーキテクト
     1.建築・都市・国家=合体装置(メガストラクチュア)(初出2011年)
     2.都市はアーキテクチュアか(書き下ろし)
解説:藤村龍至

 

 

 

読書感想:磯崎 新『磯崎 新 建築論集 全8巻』「第5巻「わ」の所在――列島に交錯する他社の視線」, 岩波書店

 第Ⅲ章以降(「床の現象学」除く)は建築作品を題材とした空間分析だった。google 画像検索をして、Evernote に画像を貼付ながら読み進めた。中谷礼仁の解説によると次の3つの論文は『建築行脚』シリーズから選ばれたそうだ。

「両性具有の夢――ヴィッラ・アドリアーナ
「排除の手法――ル・トロネ修道院」
「闇に浮かぶ黄金――サン・ヴィターレ聖堂」

 西洋建築史の知識が十分でないわたしにとって、図版がなくて読みにくかった。その原因はおそらく写真が多用された書籍から本文だけを切り取ったからだ。とりあえず『建築行脚』を読みたくなった。今は『磯崎新の建築談義』として出版されているようだ。磯崎は多くの建築を本文中に引用する。話しをわかりやすくするためだと思われるが、その建築に関する知識が無いと理解できない。そのため google 画像検索をする。「磯崎による建築史」の勉強をしているようだった。第4巻を読んだときも同様に建築史に対する欲求が高まった。
 日本語で web 検索をしてから現地語を探して、それを copy & paste して画像検索を更にかける。外観、内観、平面図も全部簡単に見つけられる。それらを Evernote に貼付ていくと、講義を受けた後にできるノートのようになった。ゆっくりと立ち止まりながら、画像を参照して読み進めていくのが楽しかった。

 その中でも、ル・トロネ修道院は必ず行かねばならないと思った。建築を好きになり始めた頃、安藤忠雄がオススメしていた『荒い石』を読んだ。そんな思い出があるので、ル・トロネ修道院に対して思い入れが強い。ル・コルビュジエも何度も訪れ、実測もしたそうだ。それが ラ・トゥーレット修道院の平面、ロンシャンの礼拝堂の壁に繋がる。
 床、壁、構造材の全てが同じ荒い石で構成されているという。そして暗さ、反響する音を体験してみたい。

 ロマネスク様式の建築は以前から好きだったが、ビザンチン様式の建築が今回、焦点が当てられていたので気になる存在になってきた。これまで夏休みなどで各国の首都を中心に訪れて、建築・アートを見てまわっていた。当然、現代建築も含まれる。歴史的に価値が定まった建築をもっと多くみた方が、より楽しいかもしれない。好きな建築家であるルイス・カーンも40代後半にイタリアで中世都市を訪れている。

 磯崎は歴史を参照して、自己の立ち位置を考える。それが第Ⅴ部 第2章「ディオニュソス」に現れる。今回はパッラーディオと磯崎を対比させていた。現代を過去と繋げて表現していることが面白い。

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《 目次 》
Ⅰ メビウスの輪=倭=和=「わ」
     和様化と外部(初出1991年)
Ⅱ 世紀末のカルチュラル・ターン
     1.「退行」と「擬態」(初出2000年)
     2.〈やつし〉と〈もどき〉(初出2010年)
Ⅲ 加算と減算
     1.両性具有の夢――ヴィッラ・アドリアーナ(初出1981年)
     2.排除の手法――ル・トロネ修道院(初出1980年)
Ⅳ アンビギュイティ
     1.闇に浮かぶ黄金――サン・ヴィターレ聖堂(初出1988年)
     2.
Ⅴ 振る舞う身体
     1.ユカの現象学――坐の文化史(初出1982年)
     2.ディオニュソス――「テアトロ・オリンピコ」と「楕円堂」(書き下ろし2009年)
解説:中谷礼仁

 

 

 

読書感想:磯崎新『磯崎 新 建築論集 全8巻』「第4巻〈建築〉という基体――デミウルゴモルフィスム」, 岩波書店

 アクロポリス、イセ、ジョン・ソーンの章が特に興味深かった。アクロポリスパエストゥムに行きたくなる。パルテノン神殿を見たい、体験したい。ブルネレスキ、アルベルティ、パラーディオなどルネサンスの建築家が何度も登場してくるので、もう一度、建築史を勉強したくなった。

 ロンドンへ行ったときに、Dulwich Picture Gallery に行かなかったことを後悔した。Sir John Soane’s Museum の記述を読んでも、印象深かった地下の空間以外を思い出せない。キャンドルナイトという特別なイベントに見に行ったこともあり、磯崎が述べる様々な光の演出がされていることは体験できなかった。

 丹下に関する本を読んでいたときに、「神のスケール」というキーワードが出てきたことを思い出した。デミウルゴモルフィスムは神や人間を含む、全てのスケールを扱う。

 

写真:Sir John Soane's Museum

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< 以下、目次および気になった部分のメモ >

第Ⅰ部 メタファーとしての建築

第Ⅱ部 アルケー――始源と反復
 第1章 私にとってのアクロポリス
原(アルキ)=構造(ストラクチャー)
アクロポリスは概念としての《建築》そのもの
アクロポリスが私を反逆者に仕立てた」ル・コルビュジエ
「地中海の民家のような土着建築からヒントを得ているというのが通説」
ル・コルビュジエが壁を白くしたのは、地中海のヴァナキュラーな建築の影響を受けているためらしい
堀口捨己は西洋的な建築をつくることを諦めた(茶室研究へ)

 第2章 イセ ―― 始源のもどき
「何事の おわしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」西行
隠すことの祖型 捏造された始源

第Ⅲ部 クライシス――斜行と逸脱
ジョン・ソーン ―― 建築と逸脱
ロージェ神父『建築試論』p. 158
「必要のないいっさいの装飾的な付加的要素を否認し、建物の構成にかかわる必要部材しか認めない。」

第Ⅳ部 デミウルゴスの行方
14世紀 以前 テオモルフィスム 神像形象主義
15世紀 ルネサンス 以後 アンントロポモルフィスム 人体形象主義
21世紀 以後 デミウルゴモルフィスム 造物主義(磯崎の造語)
デミウルゴスは強力な能力を持ってはいるが、間違った設計図でさえ、もし神がこれを与えたなら、そのまんまに彫り、造ってしまう。(中略)デミウルゴスに賦与された超人間的な能力こそが、建築家のモデルたるべき」pp. 215-216
デミウルゴモルフィスムはアイコニック・ビルティングやアルゴリズミック・アーキテクチュアに繋がる
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読書感想:磯崎新『磯崎新建築論集 全8巻』「第3巻 手法論の射程――形式の自動生成」, 岩波書店

《 手法 》

 磯崎がマルセル・デュシャンを始め、ジャクソン・ポロック「ドリッピング」、ジョン・ケージチャンス・オペレーション」、アラン・カプロー「パフォーマンス」などが表現する方法を「手法」とよび、それを基に建築を構想すると述べられていた。現代アートのコンセプチュアルアートと同じ枠組みだ。
 なぜ「手法」を意識したかというと、磯崎は70年代始めに設計ができなくなったという。その行き詰まりから、最も基本となる正方形に着目し、立体化(キューブ)する。キューブの並べ方を考えて設計されたのが、群馬県立近代美術館だ。わたし自身、何回か行ったことがあるが、ようやく意図がわかった。22.5度振っている翼棟は、キューブを意識させるためだそうだ。
 わたしは現代アートも建築も両方好きなので、磯崎の考え方に非常に共感できる。

 

《 美術館 》

 美術館の説明にすごく納得した。芸術品は貴族のためのもので、自らの邸宅に展示していた。それらを「市民に見せてあげよう」ということで、公開を始めるのが美術館の始まりとなる。だから、ルーブル美術館など貴族の邸宅が美術館になった。展示方法も貴族がやっていた方法を踏襲している。
 近代になり美術は、貴族や教会がつくらせたものから、芸術家が自ら作品をつくり、売買される対象となる。そのような近代の芸術品は持ち運びが自由で場所を問わない。先行する美術に建築は遅れながら、建築空間も場所を問わない white cube が標準となる。世界中、どこでも芸術品を展示する空間は同質である。

 今、この同質性の限界が見えてきたため、これからはサイトスペシフィック性が重要度を増す。例えばベネッセアートサイト直島などだ。それが、島々がそれぞれの特色を持つアーキペラゴ (archipelago, 群島) に繋がる。

 

《 プロセス・プラニング論 》

 旧 大分県立中央図書館の設計意図を説明する論文で、ル・コルビュジエの無限成長美術館を思い出した。基本単位を決めて、増築を想定した設計だ。最初から全体像が決まっているわけでないので、オープンな計画となる。あらかじめ増築計画を決めておくのはクローズドな計画で、プロセス・プラニングとは違う。建築は変化し続けるというのが面白い。

 

 

写真:群馬県立近代美術館

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手法論の射程――形式の自動生成 (磯崎新建築論集 第3巻)

手法論の射程――形式の自動生成 (磯崎新建築論集 第3巻)

 

 

土門拳記念館 ギャラリートーク:堤 勝雄 「弟子が語る土門拳」

< ギャラリートーク:堤 勝雄 「弟子が語る土門拳」 > 2014.8.8

(引用) 1944年 静岡県生まれ(70才)。東京写真短期大学(現・東京工芸大学)卒業。在学中より土門拳に師事。現在、フリーランスの写真家として、美術品、建造物、風景、ルポルタージュ、料理写真等をテーマに各種出版物、雑誌等で活躍。日本写真家協会会員、土門拳記念館理事。

 堤さんは毎週土曜日の朝日新聞に掲載される料理写真を撮っている。

 

     以下、ギャラリートークまとめ


土門拳記念館》
谷口吉郎に設計依頼した後、すぐに亡くなった。そのため息子の谷口吉生に白羽の矢が立った。竣工当時から建築界で高く評価された。建築自体が芸術である。
・第4代 藤原泰衡(やすひら)が殺されて、徳尼公(とくにこう)が後の「三十六人衆」と呼ばれる家臣たちを連れて酒田に逃げてきた。その縁があって中尊寺の古代の蓮「中尊寺ハス」を株分けしてもらった。

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《古寺巡礼の出版》
室生寺の仏像が土門のココロを捉えた
      1954年 - 写真集『室生寺』(美術出版社)刊行
和辻哲郎『古寺巡礼』, 1919年出版 から名前をとる
自費出版で価格は大卒の初任給くらいと非常に豪華
土門の友だちの亀倉雄策に装丁や編集のデザインを任せず自分でやった
・全てにおいて手を抜いていない、納得するまで撮る
     三仏寺には4度も撮影旅行をした
・何度も撮って上手に撮れた写真でなく、想いが込められた最初の写真を出版に選んだりする


《作品》
・フラッシュバルブを使った作品は、全て多重露光で撮っている
     一つずつ使い、竹竿に付けたバルブの位置を変えて何度も撮って重ねる
土門拳はレンズを45 1/2 まで絞りたいので強い光が必要
・絞り45-65 + 強い光(フラッシュバルブ)でホコリなどを吹き飛ばす
・被写体の全てを叩き出す、バルブの光は波長が長く、今のフラッシュとは違う
・フラッシュバルブは「強調と省略」、失敗も目立つ
・背景は強い光で飛ばしたから黒い
・当時1つ150円くらいするフラッシュバルブをたくさん使った
・35mm 換算で105-135mm 位のポートレートに適したレンズで仏像を撮った(仏像は人型)
・テレで撮り背景を省略する


薬師寺
薬師寺の再建される前の五重塔の心柱の基礎(心礎)を撮るために、溜まっていた水と泥をかき出し磨いた
      弟子たちは最初乗り気でなかったが、最後にはもっと磨きたいから先生に待ってたそうだ(笑)
薬師寺の西塔と東塔の屋根の傾斜角が違う
     西岡棟梁いわく、時が経つと同じになる
・午前中の雰囲気がリセットされてしまうので、撮影するときは昼ご飯は食べない

読書感想:磯崎新『磯崎新建築論集 全8巻』「第2巻 記号の海に浮かぶ<しま> 見えない都市 」

この第2巻は磯崎の都市に関する論文がまとめられている。

次の表が、特に興味深かった。

 

時代 主題 パラダイム 手法
19世紀 首都 (capital) 計画 (planning) 目標=テロス
20世紀 大都市 (metropolis) 代理表象 (representation) 大量数 (greater number)
21世紀 〈島〉都市(archipelago) 虚体 (virtual body) 図象=イコン

 「Ⅳ 不可侵の超都市 2〈しま〉の析出」, p. 203


 19, 20世紀は見るだけで、何となくイメージできる。「代理表象」は、ル・コルビュジエならチャンディーガル(インド)で人体を、オスカー・ニーマイヤーはブラジリアで鳥を参照しているようなことを意味する。

 アーキペラゴ(群島)は、東京なら〈新宿・渋谷・丸の内〉とマチ毎に特色がある様子をいう。もっと大きなスケールなら、〈東京・NYC・パリ〉などになる。都市のカタチはなく(虚体)、記号(図象)が都市を表す。そして、同質性よりも異質性が重要視される。
 R.ヴェンチューリの『ラスベガス』では、クルマから見える看板(図象)だけが建物の目的を示し、建築のカタチは意味をなさないと述べられている。サインやアイコンが最重要な人間がビルディングタイプを判別する手がかりとなる。同じように都市では土地に対して無根拠にある場所を、居住区・ビジネス地区(図象)と決められる。

 これらのアーキペラゴは、田中敦子の作品のようにネットワークを張り巡らせる。ポロックのオールオーバーのような世界観だ。ヒエラルキーはなく、並列化されている。
 新たな都市の計画は、コンピュータを使ったシミュレーションによって計画されある。今、話題になっているビッグデータ(各個人のGPS移動データなど)を使い、解析された最適解が計画となるのだろう。

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作品例:田中敦子

 


「建築は小さい都市であり、都市は大きい建築である」(アルベルティ『建築十書』)
 都市が図象であれば、建築も図象となる。それが Iconic Achitecture だ。シンガポールが現代を象徴する都市であろう。

 

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