建築・アートの所感ノート

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映画「だれも知らない建築のはなし」

(ネタバレ注意)
 
 
 建築家 石山 修の娘 石山友美が、2014年ヴェネチア・ビエンナーレで上映した「Inside Architecture」を再編集した作品である。
 世界の建築界からみた日本と、その中の人の回想が、全体を通しての展開だった。日本の建築が世界から一目置かれていることがよくわかった。雑誌「A+U」,「GA」の影響力がわかる。チャールズ・ジェンクス(ポストモダン建築の命名者, 『ポスト近代建築』1977)が、前川・坂倉・丹下と次々に日本人建築家の名前を例に挙げるシーンに驚いた。
 
 ストーリーは磯崎を中心に進んでいく。磯崎の偉大さが非常によくわかった。監督である石山の経歴をみると、磯崎アトリエの勤務があった。その影響による尊敬の心が映像に表れたのだろう。磯崎がインタビューを受けている空間が洗練されていた。あのような空間で生活してみたい。
 
 どこかの本で、磯崎はフィリップ・ジョンソンを世界の建築界のゴッドファーザーみたいな存在(fixer)と話していた(「現代のトリック・スター」と称したらしい)。日本建築界では磯崎はボスで、世界の建築界との橋渡し役だ。 磯崎により伊東豊雄安藤忠雄は「P3会議」(1982) に連れて行かれる。後に二人ともプリツカー賞を受賞するほど世界的に活躍している。磯崎に先見の明がある。「P3会議」における日本人建築家を「沈黙は金、雄弁は銀」というような表現をしていた。映画「ジャッジ!」(2013)で言われていたとおりだ。しかし、安藤がバカにされていたとは驚きだ。
 
 細川護煕が磯崎と始めた「熊本アートポリス」によって、伊東による初めての公共建築「八代市立博物館」がつくられる。さらに、その後、磯崎が審査委員長をするコンペ「せんだいメディアテーク」にて、伊東の案が選ばれる。映画では伊東自身が、「自分にとって重要な作品に、磯崎さんが関わっている」と言っていた。
 
 
 バブルの終わり頃、福岡地所が磯崎に依頼した「ネクサスワールド」がつくられた。そこでコールハースが実作を初めてつくった。こういうところに磯崎の先見性が現れている。販売時期がバブル後でタイヘンだったらしい。その後、福岡地所は「キャナルシティ博多」をジョン・ジャーディに依頼した。商業建築を設計する者は、一流の建築家と思われていなかったという。伝統的な建築家に頼んだ集合住宅で苦労して、商業建築を設計する一段低い建築家のプロジェクトが成功する。何というか皮肉的だ。それから時代を経て、商業建築を卑下する風潮はもう無い。ハイブランドのブティックを超一流建築家が設計するのが当たり前になった。
 
 このような数々のエピソードと代表的な著書(『磯崎 新 建築論集』)を一読した影響を総合して、
「磯崎さん、スゲェェェ!!!」と思った。
 
 
 伊東が最後にこのように述べるのが印象的だ。
「これまでの建築を批判するつもりで設計してきたのに、批判する対象がない」
 
 また、GAの二川 由夫(ふたがわ よしお)も、現代の建築に思想がなく薄っぺらい内容であることを危惧していた。はたして歴史化されるのだろうかと。ちょうど読書中の飯島 洋一『「らしい」建築批判』にも、同じようなことが書かれていた。
 
 本作品はポストモダン建築が歴史化される上で、重要な映像資料になるはずだ。大阪万博を始め、1970年以降が近年にどんどん歴史化されていくのが面白い。建築好きであれば、必見の映画であった。
 
関連リンク
『だれも知らない建築のはなし』
 
『だれも知らない建築のはなし』公開記念トークショー : 藤村龍至 (建築家) x 石山友美 (監督) × 磯崎新 (スペシャルゲスト)【前編・後編】
(THE FASION POST)
 
新国立競技場でも批判の的、建築家に罪はあるか」
(ダイヤモンド・オンライン)