講演会 三分一 博志「風、水、太陽」TOTOギャラリー間, 2016.4.15, イイノホール
海外旅行の準備(タイ)
読書感想:磯崎 新『磯崎 新 建築論集 全8巻』「第8巻 制作の現場――プロジェクトの位相」岩波書店, 2015
〈目次の抜粋〉
Ⅰ 新宿ホワイトハウス
Ⅱ 孵化過程
Ⅲ お祭り広場
Ⅳ 福岡相互銀行本店
Ⅴ 群馬県立近代美術館
Ⅵ つくばセンタービル
Ⅶ 東京都新都庁舎コンペ
Ⅷ ディズニー日時計
Ⅸ 海市
Ⅹ ウフィッツィ
Ⅺ 博多湾オリンピック
Ⅻ 中国・中原
各プロジェクトが以下に区分されて構成している
①プロジェクト
②編者による背景説明
③対比的思考
④応答編
読書感想:磯崎 新『挽歌集 建築があった時代へ』白水社, 2014年
磯崎の交友関係の広さには驚いた。トップクラスの人たちは、みながどこかで繋がっている。今なら Facebook だろうか。建築家、写真家、芸術家など書籍や彼らの仕事を通して、特によく知っている人たちに対する文章が興味深かった。巻末には書き下ろしもあって嬉しい。
全体として気になった部分を引用する。
磯崎は丹下健三から次のように教えてもらったという。
引用「建築することは、単に街や建物を設計することではない、人々が生きているその場のすべて、社会、都市、国家にいたるまでを構想し、それを眼に見えるよう組み立てることだ。」p. 143
伊藤ていじ、二川幸夫のパートが面白かった。『日本の民家』を撮影するときに、高山の日下部邸と吉島邸は伊藤により発掘されたそうだ。
引用「いかに有名な建築家の仕事であっても二川幸夫のめがねにかなわなければ写真を撮ってくれない。ということは歴史から落とされる。」p. 242
「幻=影(ファンタスマゴリー)が消えた」
引用「一九世紀に組み立てられた『美術史』においてはルネサンス、すなわち今日の『美』なるものの始まりの地だ。聖地だ。古典の時代精神(ツァイトガイスト)モデルだ。(中略)この聖地(フィレンツェ)もかつては捏造されたんだ、あらためてその上に捏造をかさねることしかない、と考えていた。いまや世界さえ捏造されている。」pp. 329-330
歴史はつくっていくものと再認識させられた。
映画「みんなのアムステルダム美術館へ」2014年
とても面白かった!美術館の館長、学芸員、建築家、インテリアデザイナー、役所、サイクリング協会などの市民たちが議論しながら建築をつくっていく様子を映画にした作品だ。美術館を通り抜ける自転車道とエントランスが問題の焦点になる。
アムステルダムは自転車天国で、美術館の通り抜け道路に1日1万人以上が通るらしい。建築家は美術館へ訪れる人と通過交通を考慮して改修案を提案して採用された。その提案が途中で却下される。サイクリング協会が通路が細すぎるなどと意見を言う。そんなごたごたの中で、建築家も途中で「どうにでもなれ」という投げやりな気持ちになっていた。皮肉的に「民主主義、バンザイ!」みたいに言うのが面白かった。おそらく本心であろう。美術館の館長も同じような感じだった。ライクス・ミュージアム(アムステルダム国立美術館)はオランダを代表する美術館なのだから、ルーブル美術館と同様に考えれば、自転車道のために美術館の設計を変えるなんてしなくてもよいはず。建築家はそのように言う。しかし、オランダ伝統の民主主義がチカラを発揮する。建築現場の現実が伝わってくる。
日本美術を担当する学芸員が印象的だった。仁王像を解梱するシーンで、涙を浮かべながら初対面を喜んでいた。こういう担当者に日本美術が取り扱われるのは嬉しい。本当に美術が好きな気持ちが伝わってきた。
美術館を通り抜ける道が、ある意味ではライクス・ミュージアムの特徴にもなっている。壮麗なエントランスがあるわけでなく、ひっそりとした通路の脇に開けられたドアを入ると吹抜の大きな空間が表れる。遠くから見てわかりやすい入口は、アプローチしていくときに、徐々に気持ちが上がっていく。例えるならば「来る、来る、来る、来る、キター!」という感じ。ライスクは一度、暗くて狭いトンネルを通り、そこから明るくと大きなエントランスホールが突然現れる。空間のコントラストが強いので、「おっ!明るい!広い!」と驚きと共に入館する感じだ。ルーブル美術館、大英博物館やメトロポリタン美術館みたいな威厳のある入口ではないが、それがオランダの民主主義を象徴しているようでもある気がする。
ライクス・ミュージアムへ行く予定がある人であれば、映画を見て行ってからの方がより興味深く美術館を楽しめるだろう。
Rijksmuseum – The Museum of the Netherlands - in Amsterdam
森美術館 村上隆の五百羅漢図 展:トークセッション「日本、物語、リアリズム」アカデミーヒルズ
村上は世界のアート界をリードする先頭(ウォーホルなど)に立ち、メインストリームをつくり出したいと 3.11 まで思っていたという。「スーパーフラット」は、その流れの中で考え出された。しかし、その目標に限界を感じて自分の作品を残すことを意識するようになったそうだ。「ウォーホルからゴヤを目指す」と村上は言う。非常にわかりやすい比喩だ。しかも、時代も活躍した地域も全く異なるの芸術家を同時に比較してるのが面白い。日本人で最も成功した現代美術家が、その目標達成が「ムリだとわかった」というのは衝撃的な発言だった。頂上に近づくほど、見える景色が違うのだろう。
以下の質疑応答が印象的だった。
会場からの質問:「なぜ伝統的な日本画のモチーフを使うのか?外国人に売る(輸出する)ためか?」
村上:「答えたくないから答えません」
唯一、良い質問だ!と思えた。それに対する答えが、芸術家だからこそ許される回答だった。建築家だったら言えない回答だろう。質問者が著名人の考え方を名前と共に引用したことが良くなかった気がする。村上に「商売のため日本文化を利用している」と言わせたいような質問だった。それに対して何も言わないことは、それはそれで良かったと思う。
村上はアニメの背景を描く仕事をしたいために、東京芸大で日本画を専攻したと言う。最初のキッカケはどうであれ、日本画が好きでなければ「五百羅漢図」をつくるわけがないし、『芸術新潮』の連載「ニッポン絵合せ」もあれほど熱心にやらなかったはずだ。展覧会を見て、美術史に残る巨匠たちへのオマージュなど村上の日本画への愛を感じられた。
一方で、世界のアート界と闘うための武器として、日本の伝統文化からチカラを借りるのは、当たり前といえば当たり前だ。最も合理的な手法だろう。話しはそれるが、日本の建築家が日本文化を全く意識することなく現代建築を設計しても、外国人は「日本の空間だ」と思うらしい。建築家の空間体験が無意識レベルまですり込まれているのだろうか。無意識にやろうが、戦略的にやろうが、作品の善し悪しには関係ないのではないか。質問の意図が、「明治時代、外貨を稼ぐために欧米への工芸品を制作・輸出したこと」を想起させる。まさか現代の村上に重なるわけがない。もっとシンプルに、こんな質問をしてみたい。
「村上作品からは日本美術に対する愛を感じる。なぜ日本美術を愛するのか?」
コンテンポラリーダンス 森山開次「サーカス」新国立劇場
PLAYLIST
https://www.youtube.com/watch?v=Ckapn3YQeGI&list=PL9A450EDFD965FCD3